気まぐれ日記 02年8月

02年7月の分はここ

8月1日(木)「気持ちを引き締めて・・・の風さん」
 執筆難航中である。
 社内の知人から電話があり、中学、高校の同級生と久しぶりにあったら、その同級生が鳴海風のファンだったという。それを聞いて、うれしかった、と同時に、私の作品を期待して待っている読者がいることを、あらためて認識した。
 執筆難航中などと言って、開き直っていてはいけない。どうにかしなければ・・・。
 その手始めに、これからは鈴木輝一郎さんを見習って、執筆がらみの進捗状況を、ここへ少し公開することにする。難航し続けていれば、恥ずかしくて、どうにでも進めようという気になるのを期待して。
 1週間ぶりに体育館へ出かけた。相変わらず疲労感が体にへばりついている。入念にストレッチしてからトレーニングした。ランニングもまずまず。トレーニング後の結果は、血圧異常なし。肥満度−2.2%で、体脂肪率17.1%。
 帰宅し、シャワーを浴びて、早めに就寝した。就寝前に短編を1本読んだ。

8月2日(金)「進捗のない典型的な1日の巻」
 5時頃目は覚めたがすぐには起きれなかった。それでも這うようにして、6時に起きて、パソコンへ向かった。メールチェックして、少し資料を読んでいるうちに、出勤時刻が迫った。
 会社の昼休みに、ほんの少しだけパソコンに入っている資料を読みかけた・・・ところで、もう仕事再開。
 退社し、途中で給油して帰宅。すぐ夕食を摂り、パソコンいじりとメールチェック後シャワーを浴びて、就寝前に短編1本読んだだけで、もう就寝。明日は早朝から肉体労働である。

8月3日(土)「今週は資源回収・・・の風さん」
 先週の相撲大会に続いて、今週は資源回収だった。執筆難航の中でも、PTAの委員として色々とやらねばならない。しかし、この経験はとても貴重である。PTAがいかに組織しているか知ることができると同時に、地域の人々と触れ合うことができるからだ。やはり終焉の地としてここを選んで正解だったと思う(ここでなければ、心の故郷、秋田を終焉の地として選びたい)。
 今日の風さんは軽トラ運転手がミッションなので、先ず、7時20分に好意で軽トラを貸してくださる所へ借りに行った。こういう地域の人たちがいることを知るのが貴重である。世間知らずで、自分のことだけで多忙な風さんは、ボランティアを怠りがちである。反省しなければならない。
 次に、ビンの回収のためのケースを受け取りに行った。それから、町内を回る前に、小学校の倉庫の中にある資源ゴミを運び出した。ここまでで1時間が経過した。既に、かなりの暑さである。ポカリスウェットが内臓に染みとおる。ふと自分の日に焼けた両腕を見ると、体内から吹き出した汗が日に焼けた皮膚を押し上げて、無数の水ぶくれができているではないか! おお、うざったい。
 S地区を担当するのは、風さんたち8人で、トラックは2台。だから、4人チームふたつに分かれた。この地区は、古い地域なので海からの風を防いで入り組んだ町並みになっている。軽トラ1台がやっと通れるような道が、ジグザグにうねっている。袋小路も多い。資源回収は、一升瓶、ビール瓶、アルミ缶、新聞雑誌、ダンボール、古布類だけである。まともにお金になるのはビン類とアルミ缶だけらしい。山のような紙類は、実はお金にならず、町からの補助金だけが狙いである。それを知らない人々は、このときとばかりにためていた紙類を出してくれるので、この運搬が結構むなしい。結局、5か6往復した風さんチームが最後で、解散して、軽トラを返却して、帰宅したら正午を回っていた。
 すぐにシャワーを浴び、着替えた。両腕の水ぶくれには触らないようにした。それから、お握り2個、生卵1個を食べて、缶ビールを1本飲んでダウンした。
 夕方目覚めた。マニュアルの軽トラを運転した記憶がまざまざとよみがえった。パワステもなく、狭い道を、ときにはバックで運転したので、けっこう楽しかった。
 実は、今のコルサを買い替えるべく、中古車屋へオートマの******を頼んでいた。それが、やはりマニュアルが楽しいな、と心がギヤチェンジしたのだ。で、さっそくケータイで中古車屋の社長に電話したら、ひどく驚いた声が返ってきて、「昨日、掘り出し物を仕入れてきたばかりですよ。先ず、見に来てください」とのことだった。
 こういう場合の風さんの心理は、ちと説明が難しい。たとえば、友人のうちへ生まれたばかりの猫をもらいに行くとする。行ってみたら、何の勘違いか、猫ではなくて、犬だった。その子犬と視線が合ってしまうと、これは私がもらうべき犬なのだ、と運命的なものを感じて、結局、その子犬をもらってきてしまう。そんなところだ。
 今週は体温を超える猛暑が連日続いているが、今日は、36.1度とやや低かった。執筆も低調。進捗なし。

8月4日(日)「帰ってきたゴキの巻」
 今朝、洗濯機の近くに死にかけたゴキがひっくり返っていた、とワイフから聞いた。誰かがゴキジェットで退治したのだろうか。それとも・・・? 長女に聞くと、「知らない」。次女に聞くと、「知らない。シルバーがやったんじゃない?」。シルバーにそんな芸当ができるなら、今頃感謝状の山ができている。そこで、風さんの期待は一気にふくらんだ。まさかの長男に最後の確認・・・と、「うん」。うん? 横着者の長男が昨夜シュワッとやったのだという。当然、取り逃がした。しかし、どうやら致死量近くがかかったらしい。苦しみながら出てきて、そこで力尽きていたようだ。
 とにかく、例の***X(エックス)は、やはり効果がなかったらしい(涙)。
 メールチェックし、気まぐれ日記を書いた後、来週は福島へ帰省し、月末には家族で秋田へ行くので、事前に土産を送る手配をしたり、暑中見舞いを作成したりした。それで、午前中はおしまい。ここでまた、ひどい疲労感に襲われて暫時昼寝。そりゃあ、炎天下での作業は大変な疲労をともなう。恐らく、昨日は、午前中だけで1kgは体重が減ったろう(もっとも、その後、たっぷり水分を補給したので、戻っていると思うが)。
 トレーニングへ行く日だったが、イマイチ体力が復活していないのと、執筆が不調のため中止。
 多少資料を読み、短編を1本読んだ程度で、執筆は数行進んだのみ。

8月5日(月)「スランプ脱出か・・・の風さん」
 早朝ミーティングがあるので、少々早起きしても何もできない。
 中古車屋で注文した車を見てきた。平成9年式で走行距離は3万9千キロである。5年が経過しているので、相当リニューアルに手間がかかると踏んでいたのだが、見ると、結構きれいである。さすがにボデーは傷なしとはいかない。しかし、全体的に塗装にまだ艶があった。ワイパー周辺の塗装ははげて錆びかけていたので、ここは再塗装が必要だろう。外部の樹脂やゴム部品はまだ弾力があり、交換は不要かもしれない。タイヤは前オーナーが交換したばかりなのか、まだ新しい。ベースはスタンダード車と思われたが、そこそこのオプションが搭載されていた。シートに体を沈めてアクセルを吹かしてみると、いい音が聞こえてきて、思わずにんまりしてしまった。ワイフのためだから仕方ないが、オートマがうらめしい。ラジエターホース関係、ベルト関係、バッテリーなどの交換をお願いした。
 いよいよ待望のツーシーターが手に入ると思うと、やはり胸が躍る。
 帰宅して、食事をした後、いつもなら、どっと疲労感が身を包むのだが、今夜はなぜか、まだ気力がある。不思議とキーボード上を指が軽やかに踊った。なんと、原稿用紙2枚分も書いた。こんなことは、ここ1ヶ月なかったことである。8年間待ち望んだツーシーターを見たからかもしれない。
 寝る前にメールチェックしたら、『お母さんの変身宣言』(文研出版)の川越文子さんから激励メールが来ていた。

 
うれしかった。スランプから脱出できそうな気がした。

8月6日(火)「まだ勢いはあるぞ・・・の風さん」
 夕べは久しぶりに筆がのったので、就寝がやや遅くなり、しかも興奮が残っていて、すぐには眠れなかった。
 今朝もやや早目に目覚めたのだが、寝不足だと色々と支障が生じるので、ギリギリまでベッドに留まった。
 会社はあいかわらず超多忙。
 それでも目的のある風さんは、さっさと退社してしまう。
 帰りに町の図書館へ寄って、予約もあり拙著の貸し出しが滞っているとの情報があったので、3冊寄贈してきた。
 いったん帰宅して食事後、トレーニングのために体育館へ出かけた。執筆の基本条件はやはり体力である。
 入念なストレッチから約1時間たっぷり汗をかいた。トレーニング後、血圧異常なし。体重は肥満度−2.2%で、体脂肪率は17.3%だった。まずまず。トレーニングルームを出る前に、トレーナーの若者と腕相撲をした。恐ろしく強くて勝負にならなかった。うちの軟弱な中2の長男に勝てるからと安心していてはいけない、と痛感した。高校の頃は、同じクラスのスポーツ部の連中にはさすがに勝てなかったが、それ以外のクラスメートには負けなかったものだ。あれから著しく腕力が低下しているようだ。年齢的な問題もあろうが。
 帰宅し、シャワーを浴びて、先ず執筆に着手。昨日の勢いは残っていた。筆が進む。今日も2枚ほど書けた。

8月7日(水)「ダウンしてもよみがえる風さんの巻」
 会社で疲労困憊して帰宅。頭痛がひどい。夕食後、ソファでダウンした。
 こういうとき、これまでの風さんは、そのまま翌朝まで永眠するのが常だった。しかし、今日の風さんはしぶとかった。
 午前0時半ころ目覚め、それからシャワーを浴びて、書斎へ向かったのである(生卵1個と高麗人参茶を飲んだことは秘密にしておこう)。使命感がなせる業か。今夜も2枚書いた。

8月8日(木)「とにかく続けよう・・・の風さん」
 連日体温を超える猛暑である。
 今日も会社は忙しかった。でも、その合間に、月末の秋田旅行のチケットを受領してきた。楽しい旅行にするためには、できるだけ書き続けなければならない。
 今日は帰宅が遅くなった。疲労感もある。それでも、風さんは、食後、書斎へ向かった。そして、今夜も2枚書いたのである。偉いぞ、風さん(自分で自分を褒めてどうする)。

8月9日(金)「やっぱりダウン・・・の風さん」
 ふらふら状態で起きて、朝食も摂らずに出社。早朝ミーティングに1分遅刻した。
 頭痛がする。これはヤバイと思って、カバンの中をのぞくが頭痛薬がない! とりあえずアレルギー錠(精神安定作用を期待して)と肩凝りの薬(筋肉を弛緩させれば頭痛も柔らぐ?)を飲み込んだ。
 次々に会議があり、・・・(実は、9月にやる講演の資料を作成してレジュメを送付しなければならないのだが、着手できない)で、イライラしているうちに、どんどん時間が過ぎていった。
「なんか、二日ぐらい徹夜しているような顔してますよ」
 同僚からも心配顔で聞かれる。きっと私はもうすぐ死ぬに違いない。
 とうとういくつかの予定を変更して、夕方から資料作成に着手。今日は、連休前の最終日。何とか早目に退社して、途中ガソリンを給油して、夜は、トレーニングへも行く予定なのである(体育館のトレーニング・ルームも明日から連休になる)。
 できた〜! とりあえずレジュメはできた。が、まだまだやらねばならないことは山と残っていた。最低限やっておかねばならないことはある。それだけでも処理しているうちに、もうトレーニングへ行くことは諦めねばならない時刻になってしまった。ええい! もう、やめだ。
 まだ残業している人たちに、
「君たちは会社が好きだねえ。今夜は泊まっていってもいいよ」
 捨て台詞を残して会社を後にした。(専務も重役もまだ残っている)
 話はがらりと変わる。
 私は毎週コルサに給油している。ガソリンタンクの容量が40リッターしかないのに、通勤だけで週に350km以上は走るからだ。
 今週は長距離の出張もしたので、燃料ゲージの指針はすでに「E」を下回っていた。それでも、風さんは、行きつけの(と言うとカッコいいが、実は景品がもらえる)ガソリンスタンドまでコルサをころがした。
 38.8リッター入った。まだ1.2リッターも残っていたようだ。このコルサとも、月末にはお別れなので、洗車もしておいた。
 帰宅して、夕食を摂ったら、猛烈に眠くなり、そのまま居間のソファで・・・永眠した。今夜は、途中で起きられなかった(起きれなかった・・・という日本語表記は正しくない)。

8月10日(土)「必死に12枚・・・の風さん」
 12時間近く寝てしまった。悪夢を二つ見た。一つ目は言わずと知れたゴキ出現の夢。我が家の廊下で大発生し、ゴキジェットをシュワッとやったが、一匹しか退治できず、残りは雲を霞と逃げ去った。二つ目は正直に書けない。会社でした悪事がばれたというもの。おお〜怖〜。仕事が停滞するとこういう夢を見るのかも。
 たっぷり寝たがふらふらと起きた。ワイフの機嫌が悪い。
 シャワーを浴びて、自分で朝食を作って食べた。ぼやぼやしていると日が暮れるので、書斎へ直行。昨日のノルマと合わせて、今日の目標を12枚と決める。
 先に、昨日できなかったメールチェックをしたら、KちゃんとOmOから来ていた。どちらも楽しいメールだった。
 Kちゃんからのメールは臨場感があって迫力が出てきた。楽しいのだが、最近あまりメールをくれない。
 OmOからのメールは「奇遇話で暑中見舞い」というものだった。なんと、OmOもひと月前に2シーターの中古を手に入れたという。写真まで添付してきやがった。それを見てぎょっとした。同じ車種やんけ! しかも色まで同じ。そして、くやしいのがグレードである。写真から推定するに、風さんが欲しかったタイプなのだ! こうなったら、OmOの車が風さんのより4年古いことから、先に朽ちてしまうことを期待しよう。
 あとは必死に書きまくった。
 出来はともかく、12枚に到達したので、今日はここまでとする。ふう〜。

8月11日(日)「今日も12枚・・・の風さん」
 走り出したら止まらない。予定の10枚を超えて12枚書いてしまった。しかも、夕方までに到達し、後は、明日からの帰省の準備である。と、ところが、帰省の準備とは言っても、実は持参するノートパソコンの設定で、以前から調子が良くないのだが、今日もダメ。途中で投げ出して、今、こうして、気まぐれ日記を書いている。
 さて、書いておくことは・・・と。そうだ! 昨夜、ゴキが出た。洗面所である。金曜日の悪夢で取り逃がした奴が出たのか、はたまた洗面所はもう何度も出没するところなので、これはたとえば排水パイプを通って外部から侵入してきたのかもしれない。ワイフの悲鳴にゴキジェットを持って出動した風さんは、ワイフを盾にしてシュワッ。ゴキは夏バテかやや動きが緩慢で、殺虫スプレイの餌食になった。し、しかし、盾になったワイフは夫の不人情を最後までなじり続けたのであった。ま、とにかく、これは昨夜の話だ。
 今日は執筆の合間を縫って外出もしたぞ。買い物にも出かけたのだが、目的は達成できなかった。
 それから、OmO教授からまたメールが届いたな。しかも写真付き。風さんが推定したとおりの高級グレードで、くやしいことおびただしい(変な日本語だ)。年式は古いが上物とかで、簡単には朽ち果てないと豪語していた。ええい。内燃機関が滅びるまでその車を乗り続けろってんだ(いじいじ)。でも、まあ、教授昇格祝いだそうだから、許してやるか。おめでとう。
 先月、差出人の書かれていない怪しいメールが届いて不審に思ったことがあった。その本人から電話があった。新鷹会の仲間であった。名刺をもらっていたが、どうやらなくしてしまったらしい。ごめんなさい。それで、住所録からも特定できなかったのだ。『算聖伝』を読んで感動したとのことで、とてもうれしかった。この人も歴史小説を書くかなりの腕前の人なので、参考になったかもしれない。よいことだ。
 さて、明日から帰省する。順調に執筆が進むか、インターネットにアクセスできるか、その答は明日から明らかになる。メールチェックはできるので、皆さん、応援メール、よろしくね。

8月12日(月)「猛暑の地から冷涼の地へ・・・の風さん」
 帰省のときに問題になるのが、ペットや植物など生き物である。かつて、猫のシルバーはおろか、亀、カブトムシ、クワガタ、セミ、ザリガニにいたるまでワンボックスカーに乗せて帰省したことがある。大変だが、それはそれで楽しい面もあった。その後、留守番を頼むことができたので、生き物はすべて置いて出かけるようになった。ところが、意外にも、出発時刻がせまると、猫のシルバーがペット運搬用のバスケットに入って「さあ、ぼくも連れてって」というポーズを示すので、けっこう別れがつらかったりした。
 今回は、久々にシルバーだけを連れて帰省することにした。家族5人の他にシルバーが乗るとなると、犬と違って猫用トイレをそのまま乗せていくことになる。
 シルバーは車には慣れているので、途中で餌も食べるし、ちゃんとトイレで用も足す。ただ、この時期、暑さにはかなりまいってしまう。目的地は福島県内にある。
 東京までは、夏らしい日差しで車内はやはり暑かった。運が良かったのは、ほとんど渋滞がなかったことだ。
 しかし、首都高速はあちこちで渋滞していたので、環状八号線に降りた。外環道路に乗る作戦である。東京はどんよりと曇っていた。
 その環八はかなりの混雑だった。それで、甲州街道へ折れて、大原の交差点から環状七号線へ入った。その後、再び西へ進路を変えて、環八を過ぎて、当所予定通り外環道路へ入った。
 それからは順調だった。
 天気は相変わらず曇空で気温も下がっていった。出発してきた愛知県とは別世界である。那須高原のあたりは、冬の凍結時の注意喚起のため、ところどころ気温表示板がある。ときおりぱらぱらっと雨が降るような涼しさで、なんと、21℃を示している。パーキング・エリアで車から降りてみると、本当に涼しい。トイレの水道からは氷のような水が出る。Tシャツに短パンの風さんは風邪をひきそうだった。
 東北道もほとんど渋滞がなく、暗くなる前に両親宅へ無事に着いた。
 風呂に入ると、浴室内を動くものがいた。風さんの家なら、「すわ。ゴキだ!」となるが、ここは違う。雨ガエルである。近くに池や川があるわけではないが、なぜか雨ガエルが生息していて、風呂場へ入ってくるのだ。
 そういえば、うちのぴょん吉はどうしたのだろう。最近姿を見ないが。
 就寝前にノルマの2枚を書き上げた。

8月13日(火)「無心でキーをたたく風さんの巻」
 約8時間ほど寝たのだが、夜中に何度も物入れの戸を爪で開けようとするシルバーに起こされた。そのたびに、「こら!」と一喝しなければならなかったので、安眠妨害もはなはだしかった。
 今日は移動のない日で、自らに課した執筆ノルマは10枚である。朝食後、余計なことを考えずにパソコンに向かった。史料は6冊持ってきているが、これだけ少ないと、どんどん調べ出してはまってしまうということはない。しかも、インターネットもつながらない。執筆時間のいくらかを、こうして史料のない状態で書くのはやはり能率が上がる。作家仲間でファミレスや喫茶店で執筆する人が多いのは頷ける。ただし、ひどい文章が続くので、これは絶対に編集者には見せられない。
 さすがに昨日ほどの涼しさではないが、それほどの暑さは感じられない。しかし、今回の帰省ではモバイルパソコンを持ってきたので、かなりオーバーヒートする。昨夜も何度も不調になった。ときおり風を送ったりしてみるものの、まるで効果はない。焼けパソコンに風である(ん?)。今日は一計を案じた。冷凍庫から保冷剤を出してきて、パソコンの下に置いたのである。もちろんタオルでくるんだ。効果はテキメンであった。手のひらを乗せる部分も次第にひんやりしてきて、快調! 
 昼食を外で食べ、ついでに買い物をして夕方帰宅した。少し疲れたが、寝転んで短編を1本読んで、それからまたパソコンへ向かった。保冷剤作戦は絶好調である。夕食前までにノルマ寸前まで行った。
 就寝前にノルマを達成した。明日も頑張りたい。

8月14日(水)「なぜ頑張れるのか・・・の風さん」
 少し早起きしよう、と思って寝たら、7時に起床できた。
 9時に兄貴夫婦と一緒に小名浜(おなはま)へ出かける前に、ちゃんと執筆をした。
 小名浜では遊覧船に乗り、船尾からかっぱえびせんを投げた。これは、港を出てすぐ追いかけてきたカモメへ餌として与えたのである。船内で安く売っているし、カモメも承知してついてくるのだった。多いときは50羽ぐらいが群がっていた。船の速度はけっこう速いのだが、うまく同期して飛んでいる。潮風に吹かれてごま塩色になっている。白が多い奴はけっこう美しく見える。黒っぽい奴は鴨と大差ない。近付いてきたかもめを狙ってかっぱえびせんを投げると、うまくくちばしでキャッチする。それが面白くて、何度も売店へかっぱえびせんを買いに行った。
 次は、水族館「アクアマリン」である。ここの特徴は、海水魚だけでなく、山奥の川に潜んでいる魚類や、南洋の島のマングローブ生い茂る水中を泳ぐ魚類など、さまざまの水域に生息する魚介類を見せてくれる。また、太古の昔から歴史を逆シミュレーションする順序で展示したり、卵から孵して本当の海を知らないサンマの稚魚の群れなどを見せている。老若男女さまざまの世代が見学に訪れていて、平和な日本を感じた。
 福島県は天気予報が三つの地方に分類してなされる。西から「会津」「中通り」「浜通り」である。小名浜は「浜通り」で、今日の予想最高気温は29℃だった。確かに、日中晴れていても、名古屋地方の猛暑とは雲泥の差である。普通の暑さだった。
 帰りに山越えで帰ってきたが、峠のあたりは気温が22℃だった。夕方から雨が降り出した。
 夕食前にも執筆し、就寝前に今日のノルマに達したので、短編を1本読んで寝た。明日も朝が早い。

8月15日(木)「長距離ドライブだった・・・の風さん」
 尾瀬の近くに檜枝岐村(ひのえまたむら)という所があり、そこへ檜枝岐そばを食べに行った。つなぎの全く入っていないそばで、珍しい。しかし、片道3時間のドライブは大変だった。地理に明るい兄貴が運転してくれたのだが、片側が山肌、片側ががけっぷちといった山岳道路をひた走ったので、乗っているだけでも疲れた。
 そばは確かに美味かったが、私はきのこご飯とはっとうが気に入った。
 復路は塩原温泉を抜けた。ここは新鷹会ゆかりの和泉屋旅館というのがあり、かつて泊まりに来たことがある。久しぶりの塩原で旅館を見つけることが出来なかった。
 それから東北道を通って帰宅した。
 塩原温泉といえば、新鷹会。今日は新鷹会の勉強会であった。そして、8月15日、玉音放送のあったあの日も勉強会は開催されていたという。
 私は家族とともに過ごした一日であった。ノルマの10枚は、今日は達成できなかった。残りの休日で挽回することになる。
 明日は帰りのドライブである。早目に寝よう。

8月16日(金)「帰宅したらまたゴキが・・・の風さん」
 運が良いことに、東北道も首都高速も東名もほとんど渋滞がなく(そりゃあ、多少はありましたが)、ほぼ順調に帰ってきた。一番帰ってきたことが実感できたのは、静岡県あたりからの暑さだった。車のウィンドウを通して入ってくる日差しがきつい。じりじり照りつける、という表現がぴったりだ。今日も名古屋の予想最高気温は36℃と言っていたから、本当にこっちは暑いのだ。途中で何度も休憩しながら、ドライブを楽しんだけれども、この暑さと仲良くはできなかった。ただ、ドライブ慣れしている猫のシルバーは、のんきなもので、キャットフードも食べるし、トイレで用は足すし、あとはシートに長々と伸びていた。
 東名を降りてからが、むしろ時間がかかった。やはり愛知県内は車が多い。それで、どっと疲れた。
 帰宅してから荷物を降ろし、晩御飯を食べに出かけた。しばしのくつろぎタイム。再び帰宅してから荷物を片付けにかかった。執筆を焦っている風さんとしては、モバイルの中に入っているデータが気になる。書斎を冷やしておいてから作業開始。先ず、やりかけていた会社の仕事を片付け(なんで今頃、なんて言わないで!)、それから気まぐれ日記をアップした。15日の分までね。
 そして、いよいよ帰省中に執筆した原稿を家のパソコンへ合体しようとしたところで、トラブル発生。ソフトは同じワード2000のはずだが、インストールした元が違っている。バージョンが違うのだ。うまくマッチングしない。結局、ページ設定や書式で調整して、何とかできた。そこで疲れてしまったので、今日は中止。あとは明日にする。
 階下に降りて、洗面所へ入ったら、「やや!」赤い色をした小ゴキを発見。さっそくゴキジェットをとってきてシュワッ。すばしこく逃げ回る奴にとどめを刺した。赤いゴキは今年初登場である・・・などと感心している場合ではない。やはり***X(エックス)は効き目がないのか、とがっくり。畜生。買い戻してもらうか。
 高麗人参を飲み、入浴してから、短編を1本読んで寝た。疲労が蓄積している。

8月17日(土)「体育館でもゴキが・・・の風さん」
 ああ、よく寝た。昨日の名古屋はやはり36℃を超えていた。こりゃ異常だ。
 トースト1枚の朝食後、会社の仕事で郵便を出しに行った。外は確かに暑い。
 帰宅してメールチェックした。実は、帰省中もケータイでチェックしていたのだが、ケータイでは返事を書くのが億劫なので、今日、まとめて返事を書いた。
 冷麦で昼食後、さあ、執筆と思ってパソコンへ向かったのだが、イマイチ気が乗らない。ん? こりゃ、おかしい。当地の暑さのせいか。何となく体も変だ。例の頚椎の状態も悪いし、疲労感もべったりとへばりついている。
 ええい! と、トレーニングへ行くことにした。十日ぶりぐらいになる。
 ロッカールームへ入ると、茶色の中ゴキがひっくり返っていた。死因は不明。部屋の隅々に昨年からホウ酸団子が置いてあるが、もうその効果はあるまい。いずれにせよ、やはり当地は熱帯に近い。昆虫が豊富だ。チャバネゴキにワモンゴキにクロゴキ・・・。なんだ、みんなゴキじゃねえか。
 恐る恐る体重計に乗ると、げげえ、1.5kgも増えている。恐れていた通りになっていた。普段より入念にトレーニングした(1時間半もかかった)。血圧は正常。し、しかし体重があまり落ちない。肥満度−0.3%、体脂肪率19.4%。確かに脂肪量そのものが増加していた。
 ロッカールームで中ゴキの死骸を横目で眺めながら着替えて帰宅した。
 シャワーを浴びて、生卵とグレープフルーツジュースを飲んで、短編1本を読んだら、案の定眠くなったので、1時間ほど昼寝した。それから夕食。ぶりの照り焼きと納豆でご飯1杯、味噌汁1杯だけ。ダイエット、ダイエット。
 食後パソコンに向かったが、依然として無心になれず。そこで、しばらく手がつけられなかった手紙を2通書いて、それから帰省中のデジカメ写真をパソコンに取り込んだ。そうして、再びパソコンに向かうと、ナント、雨が降ってきた。しかも大粒の。これがひと晩中降れば、大地が少しは冷やされるかもしれない。

8月18日(日)「ひたすら資料読みで終わってしまった風さんの巻」
 昨日の名古屋の最高気温は、また36℃を超えていた。
 それが、夕べの雨が先触れで、今日は朝からどんよりした空模様である。日中もかんかん照りになることはなく、夕方から雨も降ったりした。これなら今日の最高気温は28℃止まりだろう。
 昨日のトレーニングのせいか、足腰が痛い。急に体調がベストになる筈もなく、頚椎も痛む。昨日に続いてトースト1枚の朝食後、パソコンに向かった。昨夜就寝前に読んだ資料が重要で、次の節を書く前に読まねばならないと思っていた。丹念にメモしながら読み進んだ。
 今取り組んでいるのが幕末だというのは、以前にも書いたと思う。『円周率を計算した男』の中の最後の1本、「やぶ椿の降り敷く」も幕末が舞台である。あの短編を書くのに、実は2年を要した。調べるのが大変だったのである。その大変さは『算聖伝』でも味わった。これは幕末ではなかったが、キリシタン関係の調査が大変だったのだ。そこへいくと、『和算忠臣蔵』はまだ楽だった。2年弱の物語だったし。
 そうして、今の作品は、嘉永6年(1853)から明治元年(1868)までの作品となる。これは確かに長い。編集長と合意してからやがて20ヶ月になる。色々と調べまくって、頭はパニック状態だ。だが、やらねばならない。これは、ある意味で『算聖伝』以上のライフワークとなる。私にしか書けない題材の筈だからだ。
 しかし、無情にも時間は矢のように過ぎ去り、日もとっぷりと暮れた。明日からまた会社である。
 最近シャワーしか浴びてなかったので、久しぶりに湯船に漬かり、目一杯お湯を足しながらリラックスしたら、蛇口の先についているフィルターが水圧で破れた。げげえ! ねじをゆるめてフィルターを外してみると、裏側に黒いヘドロみたいなものがべったりとついている。指が真っ黒になった。フィルターが目詰まりしていたのだ。Oリングを外し、フィルターを外して元通りにならないかといじってみたが、ちょっと無理みたいだった。いちおう歯ブラシでフィルターをごしごしやってみたが、きれいなフィルターには戻らない。新品と交換するしかない。
 疲労して、風呂から出て、短編を1本読んでから、こうして気まぐれ日記を書いている。
 ああ。今日は、ひたすら資料読みで終わってしまったよ。

8月19日(月)「超低調な連休明け初日・・・の風さん」
 早朝ミーティングがあるので6時起床。
 朝刊を見ると、28℃止まりかと思った昨日の名古屋の最高気温は32.2℃だった。これで涼しいと思うのだから、感覚が相当にマヒしている。
 会社では、たまっていた仕事をいくらか片付けた。昼休みにパソコン内の資料を少し読んだ。
 8時半過ぎに帰宅した。頭痛がする。知人から丹精込めた巨峰が届いていて、食べてみたら史上最高の美味さだった。史上というのは、我が人生史上である。ただし、アルツハイマー気味なので、過去の記憶は次第に失われている気がする。美味なぶどうの味に浸りつつ、10時に就寝した。寝る前に少し読書したが、今日は執筆ゼロ。
 
8月20日(火)「無心になれ、風さんの巻」
 早く寝たので5時には起きれるかと思ったが、甘かった。6時半起床。頭痛は何か原因があったのだろう。
 朝刊を見ると、比較的爽やかかと思われた昨日でも、名古屋の最高気温は34.6℃だった。体の温度感知能力もおかしくなっているのかもしれない。
 午前中は本社で仕事し、午後、製作所へコルサで出張した。製作所は三重県にあり、本社からは50km程度離れている。台風一過の強風が吹いていて、高速道ではコルサが大きく横揺れした。私はマイカーでの出張は好きだ。コルサでの長距離出張も今日が最後だろう。今日はスピードを抑えて走った。
 9時頃から執筆に入った。とにかく無心にならないと書けない。第3章 3節の書き出しが、ようやく決まった。

8月21日(水)「無心、無心、無心・・・の風さん」
 5時半に起床した。まるで秋のような爽やかな朝である。昨日の強風で蓄熱がすべて持って行かれたのかもしれない。
 昨夜の書き出しのために、どうしても調べておかなければならないことがあった。1860年*月*日午後9時、某所から眺める月の位置である。小説家はいろいろなことを調べながら小説を書くが、私も例外ではない。結果は、見事に私の希望する位置にほぼ満月が輝いていた。
 今日も会社では息つく間もない忙しさであった。どうしてこんなに忙しいのか? 分からない。恐らく私がドジだからであろう。夕方、某製作所へ出張したら、知人から、老人みたいに猫背で歩いているよ、と指摘されてしまった。主原因は頚椎の問題をかばって姿勢が悪くなっているのだろうが、老化と疲労と精力減退も少なくない。
 退社して空を見上げると、紺碧の夜空にほぼ丸い月が昇っていた。1860年の月もこんな見え方をしたのかもしれない。・・・が、帰宅が遅くなり、トレーニングに行く予定が果たせなかった。
 二階堂玲太さんから新刊が届いた。『龍の軍扇 三方ケ原』昨年に次ぐ第2作である。今後も続々と出版するらしい。新鷹会は急に活気付いてきた。
 新鷹会の仲間から文学賞受賞のメールもあった。実にめでたい!

8月22日(木)「無心、無心、無心・・・のハズがキレた風さん」
 今朝も5時半に起床。しかし、疲れが残っている。少しだけ執筆できた。
 会社では超多忙で、今日もほとんど息つく間がなかった。おのれの無能ぶりにほとほと愛想が尽く。定時後も一段落できず、ぐずぐずと仕事して、最後は短気な風さんを露呈して、キレた。
 だいぶ帰りが遅くなり、とぼとぼと駐車場まで肩を落として歩いた。きっと知人が見たら、また、猫背になっているよ、と指摘されるんだろうなあ。自販機で缶コーヒーを買って、飲みながら、ゆっくり運転で帰ることにした。そこで、二つのことに気付いた。今日会社にいる間に電話しようと思っていたことを、忘れたこと(これは結構重要だったのだが、もう時間切れだ)。次に、ケータイを使ってのメールチェックを忘れたこと。これはすぐやった。そしたら、魔堂さんからメールが来ていた。相変わらず元気がいい。帰宅したら返信しよう。
 高速のパーキングに寄って、車内のゴミを捨てた。来週の月曜日には、帰宅時は、マイカーが変わっている。その準備でもある。少し気分が浮いた。
 帰宅したら、疲労が全身にへばりついているのを感じた。陽気で明るい家庭が迎えて欲しかったが、そうではなかった。
 食事を終えて、新聞をぱらぱらめくっていると、月刊「宝石」に新鷹会の中原洋一さんが短編を載せていた。調子が上っているようだ。実力のある人なので、今後の成功を祈る。同誌には新鷹会の西村京太郎さんも短編を載せている。あの人の筆力には舌を巻くしかない。しかし、たとえ限界でも、あれだけやれるのなら、私の作品ぐらいじきに出来るに決まっている・・・ハズだ。
 インターネットの文庫の古本屋さんから「品切れ通知」の葉書が来ていた。欲しかった本なので残念である。
 さて、少し執筆するか・・・と言いたいところだが、もう時間がない。
 明日からの家族旅行のために、今から準備である。

8月23日(金)「家族旅行(1)・・・の風さん」
 5時半起床で、6時40分自宅発。空港の駐車場へ車を預け、搭乗手続きを終え、いざ「風さんの心の故郷 秋田への旅」へ・・・と勇んで出発ロビー待合室へ入ろうとしたら、最初のトラブル発生。飛行機へ携行しようとした長男のリュックサックがエックス線検査ではじかれた。(小銭とかゲームボーイとか金属製の筆箱などはトレイへ入れて通せばいいのに、横着するから、これだ)と風さんは威厳ある父親の顔で、息子を軽くにらんだ。係員はリュックサックをもう一度通したが、またひっかかった。(愚か者。だから言わんこっちゃない。早く中身を出して、身の潔白を証明しろ)風さんは一歩踏み出した。係員は仕方なくリュックサックの中身を出し始めた。「すみません。ゲームボーイとか入っているんですよ・・・」風さんは、照れながら右手で頭をかき、左手で息子の後頭部を小突く。それでも、まだ精神的にゆとりはあった。係員がリュックサックの中から取り出したのは、先ず、夏休みの宿題類だった。筆箱も出てくる。そこまでは余裕。続いて、案の定、ゲームボーイ。そこまでは許せる。と、ところが続いて出てきた品物を見て、風さんは唖然となった。ハ、ハサミである。そして、十徳ナイフ・・・げげえ! 「お、お前。機内で何するつもりだったんだ!?」「どうしてここに入っているのか分からない」「たわけ!」今さら他人のフリもできず、ひたすら謝る風さん。結局、ハサミも十徳ナイフも取り上げられ(当然だ)、到着空港引渡しとなった。
 8時35分定刻に出発したMD−81型機(定員163人)は、やや曇りがちの高度7000メートル(?)を飛行し、予定通り9時50分に青森空港へ着いた(機内で短編を1本読んだ)。当地の気温は、名古屋とは雲泥の差、16℃と低い。3人の子供たちにとっては、実質初めての飛行機体験で、わずかな揺れも怖かったらしく、気圧変動にも慣れず、あまり楽しくはなかったようだ(ジェットコースターは好きなくせに)。危険物を受け取り、その後、早くも売店で必要な買い物をした。
 3日間の旅行のために、ナビ付きのワゴン車(事前予約済み)を借りた。
 ようやくそのワゴン車で出発したのは10時50分であった。ワゴン車はディーゼルながらよく走った。
 最寄のインターから東北自動車道にのり、小1時間走って小坂インターで降りると、中学時代の友人が待っていてくれた。彼の車の先導で、町の中へ入った。
 案内されたのは、日本最古の木造芝居小屋「康楽館(こうらくかん)」(http://www.town.kosaka.akita.jp)である。明治43年に小坂鉱山の厚生施設として誕生した白亜の西洋建築が、昭和45年に老朽化によりいったん興行中断したものの、その後見事に復元されて、今では、冬期を除いて、1日3回、たとえ客が一人でも幕が開くという、驚嘆すべき文化財として生き続けているのである。友人は、12時からの弁当付き公演を予約しておいてくれたのである。しかも、私たちを驚かそうと、黙って・・・(感激)。
 公演は、伊東元春と小坂剣誠会による、痛快時代劇 国定忠治一家「旅烏 日光の円蔵」であった。伊東元春座長の熱演で本物の地方芝居を堪能できた。途中で、座長が少ない客の中から、風さんの長女に「今日は、どこから来たの?」と声をかけ、娘が「愛知県」と答えたら、意外な回答だったらしく、座長はうろたえていた。
 たまたま、北海道、青森、秋田、岩手など日本北部の知事たちが小坂町で北部サミットと称して知事会議を開催していて、昼食時だけ康楽館へやってき芝居を見ながら弁当を食べていた。知事らもこの貴重な文化財の価値を認めて欲しかった。
 公演後、館内を裏方さんが案内してくれた。明治期以来の照明や、手動式のせり上がり、回り舞台、そして楽屋などが興味深かった。
 全く予想もしなかった芝居見物をした後、心憎い友人と別れ、2時に小坂町を後にした。それから、大館市や風さんが子供時代を過ごした鷹巣町を通って、阿仁町の熊牧場を目指した。ここを家族で訪問するのは2度目である。つまりリピーターですな。2時間田舎道や山岳道路を突っ走って、4時に着いた。マタギの里の熊牧場は4時が閉園時間だったのだが、たまたま我々を含めて3台も続けて到着したので、全員入れてくれた。ここには、数頭のヒグマと100頭ほどのツキノワグマが飼われている。小熊もたくさんいる。面白いのは、ひと箱100円のエサを買って、これをクマたちに投げ与えることができるのだ。すっかり餌付けされているクマたちは、2本足で立ち上がり、吼えたり、両手を打ったりして、エサをねだる。登り木のてっぺんに立ってねだる奴もいる。その仕草が可愛い。ついつい10箱も買い与えてしまった。デジカメで動画(15秒)も撮影した。しかし、この可愛い仕草のクマと、もし山の中で遭遇したらどうなるか。相手も2本足で立ち上がるので、「俺の方が背が高いぞ」なんていばれないし、そばの木に登っても、きゃつらは木登りが得意だから、途中で越されててっぺんで待っているだろう。死んだフリをしても通用しないそうだから、彼らのエサになるのを諦めるしかない。おお〜怖〜。4時の閉園後は熊舎の掃除と晩御飯が日課のようだった。ホースで水を撒いて、クマどもの糞尿を洗い流し、その後、とうもろこしや青りんご、梨などを大量に投げ与えていた。
 熊牧場で十分楽しんだ後、夕闇迫る山道をひた走って、秋田市へ向かった。
 市内に入ったところで、トマト&オニオンというレストランに入り、熊牧場のクマたちに遅れて我々も夕食とした。珍しいメニューが多く、食べたことのないスパゲティ、食べたことのないマリネ、食べたことのないパン、食べたことのないアイスクリームを食べて満足した(これじゃ、何食べたか分からないって? けけ。いいの)
 8時過ぎに秋田駅前のホテルにチェックインした。
 明日は、今回の旅行のメインである、大曲の花火大会見物だが、天気予報は雨である。
 疲れた風さんは、ビールを飲んで10時に寝てしまった。

8月24日(土)「家族旅行(2)・・・の風さん」
 大曲は小3から中1時代を過ごしたところである。思い出は当然多い。物心つく前後の時代であり、鳴海風誕生のルーツと言ってもよい。ここ8年間で4回くらい来ているのではないか。
 夕べ早く就寝したせいではないと思うが、3時に目が覚めた。まだまだ早すぎる。再び目をつぶり、次に目覚めて時計を見たら4時だった。そして、その次が5時。結局、起きたのは6時である。カーテンを開くと、駅前を歩いている人たちは傘をさしていた。やはり雨である。昨年は64万人が訪れた大曲の花火だが、この天気では、相当客足がにぶるであろう。ゆっくりシャワーを浴びて、お茶を入れて、でん六豆を食べながら、短編を1本読んだ。
 ホテルの朝食はお決まりのバイキング形式。ここで、面白かったのは、メニューの中に、じゅんさいや岩のりなどが並んでいたことだ。秋田になじんでいるワイフが食べている。
 ホテルを出発したのは9時半ころだった。途中、スーパーへ寄って、雨具を調えた。簡易合羽や帽子、安いスニーカーなどである。大曲に着いたのは11時ころである。雨にもかかわらず、既に市への入り口は渋滞していた。花火会場付近を通過して友人宅へ行くので、渋滞はだんだんひどくなる。今夜の宿を提供してくれる友人からケータイへ電話が入った。渋滞状況を話すと、「渋滞も花火大会の行事の一環だから、せいぜい楽しんで来てちょうだい」とのことだった。山際や田んぼの中でキャンプしている人たちがいる。公式に準備されている1万台分の無料駐車場以外に、私設の有料駐車場があちこちにある。ほとんど3000円だった。臨時の屋台が出て、焼き鳥や飲み物を売っている。車を置いて、折りたたみ自転車で会場へ向かう猛者もいる。ぞろぞろ歩いている人々は、バックパッキングを背負い、トレッキングか登山者のようだ。会場近くの雄物川の河原にはキャンプ場までできていた。雨は降ったりやんだりしている。はっきりしない天気の中でも、次第に熱気と興奮を感じてくる。友人が言う、渋滞でも楽しめ、というのは、こういった風景をゆっくり観察することなのだろう。
 歩行者優先のために、あちこち交通規制が布かれ、大きく街を迂回しながら、ようやく友人宅へたどりついた。わずか5キロの道のりを1時間半くらいかかった。
 友人宅では、広い庭にテントが張ってあり、その下でバーベキューをした。牛の軟骨が風さんは初体験で、こりこりした歯ざわりに感動した。あと、なすやきゅうりの漬物がうまかった。漬物類は各家庭の手作りである。やはり秋田だべ。ときどき日が射したりするので、子供らは友人が飼っている賢いゴールデンリトリバーと遊んだりした。友人の大学生になっている長男が帰省していて、よく働いていた。勧められるままビールを飲みすぎて、だいぶ酔った。子供の頃、小学校へ通うため、毎日この近くを通ったのだが、あのとき、40年近い将来、こうしてお互いの子供らも交えて、こうしてバーベキューをするなんて、想像もできなかった。年をとるのも悪くないな、という気がする。
 花火へ行く前にワイフと町へ出た。と言っても、狭いところだし、交通規制もあるので、歩きである。町の中は普段は見られない異常な人出で、それぞれ雨具に身を包んだ山歩き風の集団がぞろぞろと会場を目指して歩いている。定例の大仙寺(だいせんじ)参りをして、位牌堂にある天井画をデジカメで撮った。私が小5、小6のときに描いた絵が貼ってあるのだ。私にとって大仙寺はお墓みたいなものである。そこから、別の友人の家へ寄って、また明日帰る前に寄る約束をした。散歩の間は雨があがっていた。何とか、このまま花火大会が終わらないものか、と空に祈りたい気分だった。
 我々も身ごしらえをして、いよいよ会場へと出発した。付近に高層建築はないので、空き地でも人々が陣取って花火を見る態勢をととのえている。一般家庭でも、会場へ向いた2階あたりは自前の桟敷となる。そこかしこに臨時の照明や屋台が並んでいる。昼花火(色のついた煙を楽しむ花火)はパスして、会場へ着いたのは6時半ころだ。河原の土手の前から既に、群集でごった返していたが、土手に登って、河原を見渡すと、河原一面が人で埋め尽くされていた。河原の会場といっても、幅2〜300メートル、全長1キロはあるだろう。そこが密集地帯で、そこを中心に扇形に見物客が市内まで広がっているはずだ。当然、花火を反対側から見てやろうと、川向こうの田んぼにも見物客はいるに違いない。
 足元はぬかるんでいた。
 桟敷席は全長が1km近くあり、奥行きは100m近い。定員は約8万人である。(以上は鳴海の推算)その桟敷席へたどり着く前に一般の(つまり無料の河原と土手などの)席が見渡す限り広がっている。
 
最前列の我々の桟敷席へたどりついたら、猛烈に雨が降り出した。
 桟敷は鉄骨で櫓を組み、その上にベニヤ板の床を張った構造である。我々はそこへシートを敷いて飲み物や弁当を広げながら花火を見物するという目論見だった。しかし、本格的に降り出した雨の中で、そんなことはできる筈がない。コンサート見物とは違う。下着も濡れてしまうのを覚悟して座り込んだ。
 たとえ土砂降りになろうとも、川が氾濫したり、地盤沈下を起こして人命が危うくなったりしない限り、花火は中止にはならない。定刻になり、いよいよ花火の打ち上げが始まった。間近で見る久しぶりの本格的な打ち上げ花火である。
大曲の花火http://www.ldt.co.jp/hanabi/は、全国の花火師が技を競う競技会である。明治43年(1910)から始まって、今年第76回を数える伝統的な大会だ。割物といって、規定の10号の花火(尺玉)を二つ上げたあと、創造花火を上げる。2分40秒とかいう制限時間の間に、制限個数以下(数百発らしい)の花火でその芸術性や技術を競う。ちなみに最初の花火は「昇曲導付八重芯変化菊」であった。続く創造花火では音楽が流れることが多く、色と光と形とタイミング、また花火そのものが出す音との総合芸術となる。伝統的な円形の花火以外に、型物といって、ハート型や猫の顔や複雑な形状を大空に描いたりする。複数の花火を連続的にあるいは同時に打ち上げて、空を覆い尽くすほどの花園を作り出したりする。そのスケールの大きさに圧倒される。ちなみに最初の創造花火の名称は「2002年宇宙花の旅」だった。今夜だけで合計1万5千発もの花火が上がるが、競技とは別の大会提供花火という仕掛け花火になると、5分間で2千発ぐらいを500メートルにわたって一気に上げる。そういったスケールの大きさも確かにすごいが、私は1年かけて練りに練って準備してきた花火を打ち上げる花火師たちの想いというか、一瞬の芸術にかける心意気に人生の凝縮を連想してしまう。同じ芸術や技能とはいっても、彼らのそれは本当に一瞬で消えてしまうのだ。宇宙の歴史に比べて人間の一生が一瞬に等しいように、そのはかなさと重さ両方を兼ね備えた芸術にかける凄みと悲しさを感じるのだ。小説を書いて人の人生をその中に描きながら、人生を考えることが多い。花火にもそういったことを感じる。共鳴するのである。
 9時半過ぎにすべての花火が打ち上げられて大会は終了した。花火師たちの技と芸術に感動した観客たちは手持ちの懐中電灯を、川向こうの花火師たちは赤いライトを、お互いに振って気持ちの交換をした。「俺達の花火はどうだった?」「感動したよ。ありがとう」「そうかい。それは良かった。今度はもっとすごい花火を見せてやる」「来年もまた見に来るからね」「・・・」
 大群衆の行進にまぎれこんで、再び友人宅へ戻った。
 小学校以来の大曲の花火見物だから、36、7年ぶりだろうか。朝の3時から目が覚めてしまった興奮の1日が終わろうとしていた。帰ってからも、ビールやお菓子や漬物や、これまた久しぶりの芋の子汁で歓迎してくれた友人一家には感謝の言葉もなかった。

8月25日(日)「家族旅行(3)・・・の風さん」
 死んだように眠った・・・つもりが、やはり朝になれば目が覚める。ツアーコンダクターの風さんは、家族より早起きして、着々と旅行3日目の準備である。
 昨日の雨模様が嘘のように外は晴れ渡っている。道路には旅行者の落としたゴミがまだ散らかっているし、路上駐車の車中で一夜を明かしたと思われる人々が、あちこちで体を伸ばしている。
 朝食後、コンビニへ寄った。帰りは飛行機になるので、手回り品を減らしておこうという作戦で、昨夜の豪雨の中での花火見物で汚れた衣類やスニーカー、シート類を箱に詰めて宅急便で自宅へ送るのである。
 昨日ちょっと立ち寄った友人宅へ1時間ほどお邪魔してから、いよいよ大曲を後にすることになった。友人のお母さんが我々の車が見えなくなるまで見送ってくれた。その気持ちは、今の自分の気持ちとぴたりと重なる。
 大曲インターから秋田道へのって、のんびりと走る。すべての行事を無事終えたので、今日の空と同様に気分は晴れ晴れとしている。気温は26℃。愛知県なら秋晴れの日がこんなだろう。疲れた3人の子供たちは、うとうとしている。遊んでいるときは底なしの体力を示す子供たちだが、こうなると他愛なく眠りこける。
 途中、錦秋湖SAで休憩し、花巻市内に入ると、ケータイが鳴った。小坂町の友人からだった。昨日の雨を心配して、花火は見れたか、と尋ねられた。たとえ豪雨でも自分にとっては思い出の花火。感動した、と答えると、安心したようだった。友情に胸が熱くなった。それから、国道沿いのレストランに昼食を摂るために寄った。観光レストランらしく、駐車場で獅子踊りの実演をしていた。レストランには「長生き御膳」という定食があり、メインは古代米のご飯と「ひっつみ」というすいとんである。古代米は赤飯そっくりだが、ブルーベリーに含まれているのと同じ色素アントシアニンをもった黒いもち米を1割ほど混ぜて炊くだけでできる漢方米らしい。中国では漢方薬の一種とのこと。ひっつみはすいとんそのものなのだが、東北人の風さんにはだしが最高に美味かった。どちらもお土産にも購入した。その後、満タン給油してレンタカーを返却し(走行距離は約450kmだった)、花巻空港に到着。時間的にも余裕綽々であった。
 出発は3時15分。航空会社も同じなら機種も同じMD−81だった。青森へ向かうとき以上に天候が良く、窓からの眺めはきれいだった。予定通り、4時30分に名古屋に到着した。
 駐車場で3日分の料金を支払い(ちょっと高かった)、名古屋高速、知多半島有料道路を通って帰宅した。この間でも子供らは、ひたすら爆睡状態だった。風さんは、とても元気で、今からでもトレーニングに行けるな、などと思案していたほどだった。
 玄関を開けると、例によって猫のシルバーが出迎えてくれた。今回は留守中ワイフの両親が留守番に来てくれていたので、精神状態は安定だったらしく、態度やしぐさに不自然さは見られなかった。
 家族全員で荷物をおろした。ここで、ほっとひと息、というのが普通だろうが、そうは問屋が卸さない。明日、待望の2シーター(マイカー)が手に入るので、コルサに予備タイヤを積んで、明朝出社しなければならない。今度の車には、コルサの予備タイヤは適合しない。ここまで元気な風さんは、続いてコルサへのタイヤ積み込み作業を始めた。先ず、コルサの後部シートを倒して、積み込みスペースを確保。ところが、車庫に積んであったタイヤがきたなくて(落ち葉が詰まっているし、クモの巣も張っている)、とても積む気になれなかった。そこで、一念発起、現在装着しっぱなしだったスタッドレスを(おいおい)、汚いラジアルに替えることにした。タイヤ交換は得意である。が、問題は時間。作業を開始したのは6時をだいぶ回ったころだ。日が沈むまでに終えなければならない。
 てきぱきとタイヤ交換をした。日没には間に合った。が、かなり筋力を使ったので、疲れた。そのままシャワーを浴びに、風呂場へ直行した。3日分の汚れが落ちた気がした。
 夕食時、ビールを飲んだ。食後、まだ片付けが残っていたが、適当にすました。このあたりから、何となく立ちくらみするような嫌な疲労感を感じだした。10時にベッドにぶっ倒れると、そのまま永眠寸前状態に・・・。

 気まぐれ日記 02年9月へつづく